自分の今を正直に今コノカタチ

顔デ笑ッテ心デ泣イテ手足に膿疱出来ちゃった!

あの日のこと

それはいつもと変わらない、月に一度のライフワークの日。
退社後いつものコンビニにより、一休みとメールチェック。

目的地に向かうべく車を走らせる。
道すがら対向車線に不自然に停まる2台の車。前の車はボンネットが凹んでいた。
(事故か…)
減速して何気に車と車の間を除き見る。白髪の老人が倒れていた。
(うわっ!人身事故)
傍らに女性らしきが寄り添っていたが、暗くてよく見えない。

そのまま通過して、目的地に到着。
すると間もなく父親の携帯から着信。
(何、もぅお父さん)
父はよく間違えて電話をかけてくる。
父ではない男性の声。

「○○さんですか?」
「はい、そうですが…」
「お父様が先程…」
繋がった!あの白髪の老人は父だったのか。

搬送先の病院へ母を連れて向かう。
後から家族も到着し、そこからはただ祈り待つだけの長い長い時間が流れる。
救急隊の方の説明、事故相手との話も出来た。前方不注意。
自分なりに頭を整理しながら、動揺することなく対応出来たと思う。不思議と。

徒歩で道路横断中の追突事故
左腕複雑骨折、右惻頭部裂傷、肋骨6本、骨盤、恥骨、仙骨骨折
脾臓、肺損傷、動脈解離、内臓損傷による大量出血

搬送先から移送された病院での、医師からの説明。確か朝方5時くらいだったと記憶している。

高齢による運転操作誤りが問題化される中、免許証返上を勧めていた矢先、まさか父が。

移送先の医師の話は、搬送先の病院での時間が1番重篤であったと。
でも家族全員、父がそこでまさか亡くならないだろうと思っていた、多分誰も。

事故から約50日、その父が目覚ましい回復をみせている。
寝たきりであったため、骨折した部分は繋り、当初の様な痛みは恐らくない。リハビリも数日前から始まって、今はベッドの端に座る体制の訓練を受けている。

事後直後、父の側に付いていてくれた人は、看護師の方だと現場検証を終えた後、病院に見舞いにきた事故相手から聞いた。どこの誰であったか、まだお礼も言えていない。

日によって発熱や肺水排出、呼吸補助の為の装置は付いているが、年齢と怪我の大きさから、まさかここまで回復するとは、病棟内でも驚きがあると聞く。
事故後、家族の生活も一変したが、
学ぶこと、気付かされたことも多く、決して悲観していない。

夏以降、私の掌蹠膿疱も、ほぼ完治に近い状態まで回復した。
掛かり付けの漢方薬局の先生、私に関り状況を見てきた人も、今の状態の良さに驚いている。
様々な何かが合致して、快方に向かったのだとは思う。

今年も残すところ10日を切り、忙しく動き回る日常に留意しつつ、よい年末を迎えたい。f:id:ruki24812-m2:20171222063654j:plainf:id:ruki24812-m2:20171222063711j:plain